俺、大谷伸彦/ダイノジ
2005年9月10日 読書
ダイノジという芸人が好きである。よくある漫才じゃない感じが好きだ。そしてコントのほうが映える。計算されたネタ作りがイイ。
写真が貼れなかったが「ダイノジ抱かれたい男NO’1のほう」(自称)のジゴロ大谷伸彦さんの著書である「俺、大谷伸彦」を久々に読んでみた。もう何回読んだか分からない
この本を読むたびに「自分も感動を売り物にしたい!!!」と思わずにはいられなくなる。自分を奮い立たせる一冊である。つっても、自分に勝負できるもんなんてあるのか?文章か?
この本を読むときは大概自分の人生に於いて悩んでいる時だ。そんなときに読むと、普通の生活から外れた方を夢見てしまう。夢を見る年齢もそろそろ終わりに近づいているというのに。
夢を見て飛び込んだ世界には現実しかなかった。何処に行ったって仕事は仕事でしかないんだから、「楽しいけど辛いよ」って言う世界はもういいと思ったのに。
それでも、この本を読むと、「自分もなんかやってみようかなあ」という気持ちになってしまう。…そう思って何かをした事は無いのだけれど。
私はまだ「感動する」ということを分かっていないのかもしれない
大谷さんもそうだが、感動を売りにしている人ほど膨大な量の感動を得ているものだ。音楽と、読書と、映画と。この本には大谷さんのルーツとも言える本やCD、映画がたくさん紹介してある。その量と言ったらハンパじゃない。それらのモノの見方も独特である。見る角度も。
あらゆるものを見て、聞く事で、初めてホンモノの良さがわかると言うものだ。良さが分かって初めて自分で創り出す事ができる世界なんじゃないかと。
大勢の人が一口に「感動した」と言える物ほど大衆的で安い感動だ。
そんな誰でも感動出来るモノじゃなくて、自分が一番感動出来るモノに出会いたい。
その為に今からでも自分は色んな音楽を聴き、小説を読み耽ったりし続けていきたい。そうして何時か出逢う「最高のモノ」のために。
それが分かったら自分も小説の一本くらい書けるんじゃないかなあとありえない方向に妄想を膨らますのはやめよう…
この本を読み返すたびに、私は「大谷さんみたいなコラムニストになってやる!!!」とありえない方向に妄想が膨らんでしまうのであった
写真が貼れなかったが「ダイノジ抱かれたい男NO’1のほう」(自称)のジゴロ大谷伸彦さんの著書である「俺、大谷伸彦」を久々に読んでみた。もう何回読んだか分からない
この本を読むたびに「自分も感動を売り物にしたい!!!」と思わずにはいられなくなる。自分を奮い立たせる一冊である。つっても、自分に勝負できるもんなんてあるのか?文章か?
この本を読むときは大概自分の人生に於いて悩んでいる時だ。そんなときに読むと、普通の生活から外れた方を夢見てしまう。夢を見る年齢もそろそろ終わりに近づいているというのに。
夢を見て飛び込んだ世界には現実しかなかった。何処に行ったって仕事は仕事でしかないんだから、「楽しいけど辛いよ」って言う世界はもういいと思ったのに。
それでも、この本を読むと、「自分もなんかやってみようかなあ」という気持ちになってしまう。…そう思って何かをした事は無いのだけれど。
私はまだ「感動する」ということを分かっていないのかもしれない
大谷さんもそうだが、感動を売りにしている人ほど膨大な量の感動を得ているものだ。音楽と、読書と、映画と。この本には大谷さんのルーツとも言える本やCD、映画がたくさん紹介してある。その量と言ったらハンパじゃない。それらのモノの見方も独特である。見る角度も。
あらゆるものを見て、聞く事で、初めてホンモノの良さがわかると言うものだ。良さが分かって初めて自分で創り出す事ができる世界なんじゃないかと。
大勢の人が一口に「感動した」と言える物ほど大衆的で安い感動だ。
そんな誰でも感動出来るモノじゃなくて、自分が一番感動出来るモノに出会いたい。
その為に今からでも自分は色んな音楽を聴き、小説を読み耽ったりし続けていきたい。そうして何時か出逢う「最高のモノ」のために。
それが分かったら自分も小説の一本くらい書けるんじゃないかなあとありえない方向に妄想を膨らますのはやめよう…
この本を読み返すたびに、私は「大谷さんみたいなコラムニストになってやる!!!」とありえない方向に妄想が膨らんでしまうのであった
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